Engineers Interview コクヨ技術系社員へのインタビュー
Part.1
360°グライディングチェア
「ing」開発秘話

2017年にコクヨが発売したオフィスチェア「ing(イング)」は、10万円弱~という決して安くない商品にもかかわらず、発売当初から現在に至るまで大ヒットを続けている。社員の「ingがいい」という要望を聞いて企業が購入するケースはもちろん、個人が自宅のテレワーク用に購入するケースが多いのも「ing」の特徴だ。この「ing」の商品開発を行なったエンジニア林とデザイナー木下の2人に、ing開発を振り返ってもらいながら、コクヨのエンジニアの仕事について語ってもらった。
- 林 克明工学部機械工学科卒1992年入社ファニチャー事業本部 ものづくり本部 1Mプロジェクト グループリーダー入社後、間仕切りなどの建材系の開発、要素開発などを経てオフィスチェアの開発へ。「ing」では商品開発職のリーダーとしてプロジェクトを推進した。
- 木下 洋二郎芸術大学デザイン科 プロダクトデザイン専攻1990年入社ファニチャー事業本部 ものづくり本部 1Mプロジェクト プロジェクトリーダー入社以来、一貫してオフィスチェアのデザイン、開発に携わる。「ing」開発ではプロジェクトリーダーとしてチーム全体をとりまとめ、商品化を実現した。
そもそも、就職先としてなぜコクヨを選んだ?
司会:本日は、コクヨのヒット商品「ing」の開発を行なったお二人に来ていただきましたが、今回は就職活動を行なう理系学生向けの記事ということで、まずは「ing」のお話をうかがう前に、お二人がなぜコクヨに入社されたのか、そこから聞かせてください。
林:私が入社したのは1992年ですからだいぶ昔の話になるんですが、大学で機械工学を学んだので工業製品の開発に携わりたいと思っていたところ、当時コクヨが「ダイナフィット」というオフィスチェアを出して、それに大きな感銘を受けたのが直接のきっかけです。ショールームでダイナフィットを見たとき、見た目はごく普通のオフィスチェアなんですが、構造がシンプルでその分機能的に作られているのがよく分かり、派手じゃないけど工業製品としてすごく理にかなってる。機能が美しさにつながっているし座り心地もいい。それで「こんな製品を自分でつくってみたい」と感じましたね。

木下:私はデザイン職ですが、私の入社のきっかけも林さんに通じるところがあります。私が入社した1990年はバブルで、デザイナーの就職先としては家電やクルマなどのメーカーが花形でした。でも私はちょっと思考が違っていて、派手な最先端の工業製品より、椅子というシンプルな製品の、造形がそのまま機能に直結しているところ、メカと造形が一体になっているところ、でも「人が座る」ことを哲学的に追及したり生理学的に解き明かしたりしていくと際限なく奥深いところに魅力を感じて、それで「椅子」を極めたいと思ってコクヨに応募しました。

360°グライディングチェア「ing」のアイデアはどこから生まれた?
司会:ありがとうございます。お二人とも「椅子」に魅せられ「椅子」を作りたくてコクヨを選んだと言えるようですね。それでは「ing」の開発についてうかがってきたいと思います。まず「ing」の360°グライディングチェアというアイデアは木下さんの発想とのことですが、どのような経緯で開発が始まったのでしょうか?
木下:「ing」の最大の特徴は、座面が前後左右360°に軽い力で動くことです。それによって座る人の一番楽なポジションに追随するんです。人間って、オフィスなどで一度椅子に座って動かないでいると体が痛くなり、ひどい場合は腰痛になったりします。実は私自身が腰痛持ちなので、体の負担にならない椅子が作れないかとずっと考えていました。そのうち、人の体って動きたがってるんだから自然に座面が動いて体に追随する椅子にすればいいんじゃないかという考えに到達したんです。
司会:開発はスムーズに進んでいきましたか?
木下:いえいえ、まったく。正式なプロジェクトになる前に、個人レベルで何年か椅子を動かす機構を考えて試作を繰り返したんですが、これがなかなかうまくいかなくて。ずっとバネを使う機構で考えてたんですけど、ある時バネではなく重力で揺れて戻る達磨式の椅子を作ったら、周りのメンバーが乗って楽しそうに揺れるんです。それを見て、なるほどこれだと。重力で動く機構ならごく自然に体に追従するんだと気付きました。
それで、重力で前後に動く機構と左右に動く機構を二段重ねにして360°グライディングする仕組みを試作して、基本的な原理を確立させました。それから、その機構を量産の商品に組み込むために、生産性、コスト、安全性などの問題を一つ一つクリアしていく「開発」のフェーズに入っていったというわけです。
司会:こうしてうかがうと、木下さんはデザイナーというよりエンジニアに近い仕事をしているように思えますね?
木下:そうですね。機構や仕組みを考えるのは、一般的にはデザイナーというよりエンジニアの仕事です。だから私がやったことはエンジニアの誰かがやってもおかしくない。でもそれがコクヨのやり方なんです。職種による壁を作らず、やりたいことをやる、思いついた人がやる。だから商品開発ではデザイナーとエンジニアが一緒になって、企画段階からアイデアを出し合うということが当たり前なんです。

エンジニアである林が合流して、どんな開発を行なっていった?
司会:林さんが合流したのは、これが正式なプロジェクトになってからということですね?
林:そうです。それまで私は直接関わってはいなくて、木下さん、何か大変そうなことやってるなと傍目で見ていたんですが、ある時、その大変そうな木下さんのプロジェクトに参加して一緒に新商品として完成させてくれと要請されたわけです(笑)。それで初めてグライディング機構を見たときは唖然としましたね。普通の椅子のメカと比較すると、とんでもないんです。こんな大きくて重くて複雑な機構をオフィスチェアに搭載するなんて考えられない。コスト的にも生産効率的にも常識外れな機構でした。だから「これが本当に商品になるのか?」というのが当時の素直な感想でした(笑)。
でも同時に、エンジニア魂に火が付いたのも確かです。360°グライディングするオフィスチェアなんて画期的ですから、これを商品化できるかどうかで自分のエンジニアとしての力を試されてるような気になって、「よし、やってやろうじゃないか」と密かに燃えましたね。

司会:林さんが加わってからはどんな開発が行なわれたのでしょうか?
林:コストや生産性の問題をクリアするため、とにかくシンプルで小さくて軽い機構にすること。そのために、鉄板のプレスとアルミダイキャストの組み合わせという構造の中で最少限の材料で必要強度を確保するようにしていきました。一方、誰にとっても違和感のないスムーズな座面の動きを実現するために、世の中にある技術を何でも活かしてやろうと考え、一般的には家具には使われないパーツであるベアリングを組み込んでそれを達成しました。
予想外にやっかいだったのが、部品のクリアランスの問題、つまり製品のガタツキをどうやって無くすかという問題でした。バネ式の機構だと部品がバネで押さえられるのでガタツキは出ないんですが、重力式だと部品のほんの僅かなクリアランスがガタツキになって不快な印象を与えてしまうんです。椅子という商品は人が直接触れ、当たり前に使うものだからこそ、心地よい使用感と安心感を突き詰めて追求する必要があります。そのために試作を何度も繰り返してトライ&エラーを行ない、最適値を見つけていきました。
でもそうやってピンポイントの精度を部品に求めていったら、今度は工場から「量産するのにこのパーツでそこまで精度上げられないよ」と突き返されたり、課題を一つ解決すると新しい一つがまた出てくる、ということの繰り返しでしたね。最終的には工場にもこちらの意図がしっかり伝わって、通常製品では考えられない精度を一緒に実現してくれたので、涙が出そうになりましたけど(笑)。

エンジニアにとってコクヨの仕事の魅力とは?
司会:構想の段階から開発の段階まで、幾多の試練を乗り越えて出来上がった商品が「ing」だということがよく分かりましたが、それほど厳しい開発だったとすると、エンジニアとデザイナーで衝突することは無かったのでしょうか?
林:デザイナーから「この部品もっと小さくしてよ」と言われてエンジニアが「それは強度的に無理」と返すなど、お互いの観点で譲れないところはそう言いますが、それが深刻な衝突にはならないですね。コクヨは商品開発の上流段階からいろんな職種の人間が一緒になって取り組むので、同じチームとして一緒に解決していくという意識が強い。利害が対立するのではなく同じ利害を共有するチームという感覚です。だから対立とか衝突にはならないですね。
司会:なるほど、コクヨは技術系社員、デザイン系社員という垣根を超えたチームとして伸び伸びとやれる環境があるのですね。では、そうやって開発した「ing」に対するマーケットの反応はどうだったのでしょう?

林:2017年11月に「ing」は発売になったのですが、当初から評判が良く好調なスタートを切ったと言えます。特徴的なのは個人からの評価が高かった点で、通常のオフィスチェアとしてはもちろんですが、個人の自宅用の購入が予想以上に多かった。それが昨今のコロナ禍におけるリモートワークの増加で、さらに拍車がかかる状況になってます。
木下:近年、いかに効率良くオフィスワークを遂行していくか、それを助けてくれるオフィス家具とはどんなものなのか、という方面への関心が高まっています。その中で「ing」の「柔軟に体に追従するから体への負担を軽減する」というコンセプトが受け入れられているのだと思います。

理系学生の皆さんへ、二人からのメッセージ
司会:では最後に、これから就職活動を行なう理系学生の皆さんへ、メッセージをお願いします。
木下:「ing」開発プロジェクトは、実はマーケティングを後付けしたプロジェクトでした。つまり「座面が自由に動く椅子を作りたい」という作り手の欲求が先にあり、後付けでマーケットやニーズを数値化していった。そんなプロジェクトはめったにないんですが、それが許されたのは作り手の想いの強さやぶれない意思を会社が認めたからだと言えます。「こんなものを作りたい」という意思を持ち続ける限り、きっとそれを実現することができる。それがコクヨという会社であり、それはデザイナーもエンジニアも変わりません。明確な自分の意思を持って仕事に取り組む人にとって、コクヨはとてもやりがいのある職場だと思いますよ。

林:エンジニアの観点で言うならば、一人のエンジニアがやれる範囲がとても広いのがコクヨの仕事の特徴です。一部の部品やシステムではなく最終製品そのものに携わることができ、しかも企画に近い段階から踏み込むことができるのがコクヨの仕事の面白さだと思います。何か1つの分野や技術の最先端を極めたいという人には相応しくない環境かもしれませんが、モノづくり全体に関わりたい、幅広く技術や知識を身に着けたい、そして「自分の手で生み出したものを世の中に問いたい」という意思を持っている人には最適な環境ではないでしょうか。
司会:
本日は大変面白いお話を聞くことができました。ありがとうございました。

